WORD OFF

多岐たき亡羊ぼうよう

意味
方針や選択肢が多すぎて、どれを選んだらよいのか惑うこと。また、学問が細分化しすぎて真理が見失われがちになること。

用例

多くの選択肢や理論に翻弄されて、何が正しいのか分からなくなるような場面で使われます。

これらの例では、方向が多すぎることで迷いが生じ、最終的な目的や答えにたどり着けない様子が表現されています。

注意点

「多岐亡羊」は、文字通りに「多くの道に分かれて羊を見失う」ことをたとえた言葉であり、選択肢が多すぎることによる弊害を指します。現代的には、情報過多や優柔不断な状態にも通じる言葉ですが、安易に「多様性=迷い」と短絡的に使うのは誤解を招くおそれがあります。

迷っている状態を表す言葉には「五里霧中」などもありますが、「多岐亡羊」はあくまで「選択肢が多すぎること」が原因で混乱する場合に限定して使うのが適切です。

文章語的な印象が強いため、口語ではやや堅苦しく響く可能性もあります。使いどころは慎重に選ぶとよいでしょう。

背景

「多岐亡羊」は、中国の戦国時代の思想家・列子の書『列子』の「説符篇」に由来する故事成語です。

この章の中で、養羊家の者が逃げた羊を探すために分かれ道に入り込むが、道がいくつにも分かれていて迷ってしまい、ついに羊を見失ってしまった、という逸話が語られています。この話を通じて、学問や理論が多岐に分かれすぎると、かえって真理が見えなくなるという教訓が示されました。

この故事は、特に儒教・道教・墨家・法家などの思想が激しく対立した戦国時代の思想状況を背景にしています。当時、多くの学派がそれぞれの「正義」「道理」「真理」を主張し、何が本当に正しいのか分からなくなっていたのです。そうした時代背景のもと、「多岐亡羊」は理論の迷宮に迷い込んでしまう危険性を警告する言葉として、知識人の間で重視されてきました。

この言葉は、日本にも漢籍を通して伝わり、明治以降の近代化においては、学問や思想の多様化に伴う混乱を形容する場面でしばしば使われました。特に戦後の高度経済成長期以降、情報の洪水と選択肢の増大により、再びこの言葉の重要性が再認識されるようになりました。

対義

まとめ

「多岐亡羊」は、選択肢や方針が多すぎることによって、本来の目的や真理を見失ってしまうことを意味します。

この表現は、知的探求における警句としても機能し、単に多くの知識を持っていることが賢さではないという教訓を含んでいます。現代の情報社会においては、まさにこの言葉が示すように、多様な選択肢や価値観のなかで「自分にとっての正解」を見つけ出す力が問われる時代といえるでしょう。

一方で、この言葉は多様性を否定するものではなく、「道を誤らぬためには指針や本質が必要だ」という知的な姿勢を説いているとも解釈できます。その意味で、「多岐亡羊」は古典的でありながら、現代にも鋭く通じる普遍的な洞察を備えた表現です。