行きはよいよい帰りは怖い
- 意味
- 最初は順調でも、あとになって困難や危険が待ち受けていること。
用例
物事の始めは楽に進むように思えても、途中や終わりに予期せぬ困難が生じる場面で使います。特に、気軽に始めたことが思いのほか大変になるときに用いられます。
- 初めての登山で、行きはよいよい帰りは怖いとはよく言ったもので、下山の方がずっとしんどかった。
- 副業を始めたはいいけれど、確定申告の時期になって行きはよいよい帰りは怖い状態になってしまった。
- 展示会の準備は順調に進んでいたが、搬出の段階で荷物が破損し、行きはよいよい帰りは怖い結果となった。
これらの例文では、物事のスタート時には軽く考えていたのに、あとから問題や負担が明らかになってくる様子が描かれています。楽観的に始めることへの戒めのような意味合いもあります。
注意点
この表現は、軽妙でややユーモラスな響きがありますが、その裏には「油断するな」「先のことまで見通せ」という教訓が含まれています。ただし、カジュアルな口調のことわざであるため、フォーマルな文脈や公的な場ではあまり使用されません。
また、「帰りは怖い」とは言っても、必ずしも恐怖や危険が実際にあるわけではなく、「予想外の困難」や「思ったより大変だった」という意味であることを理解する必要があります。直訳的に受け取ると意味を取り違えやすいため、比喩的な用法であることを意識して使うことが大切です。
背景
「行きはよいよい帰りは怖い」という表現は、日本のわらべうた「通りゃんせ」に由来しています。この歌は江戸時代に生まれたとされ、神社の参道などで子供が遊びながら歌っていたと伝えられています。
「通りゃんせ、通りゃんせ、ここはどこの細道じゃ……」という歌詞に続き、「行きはよいよい帰りは怖い」という一節が登場します。この歌詞は、神社への参詣は歓迎されるが、帰り道には何か不穏なことが起こるかもしれない、という含みを持っています。
一説によると、神社に子供を連れてお参りした帰りに、その子が神の使いとしてとどまることになる、つまり「帰してもらえない」ことを示唆しているとも言われています。こうした伝承の背景には、子供の病気や夭折が日常的だった時代の宗教観や死生観が投影されていると考えられます。
それとは別に、「通ること自体に何らかのリスクがある道」「最初は許されたが、後は阻まれるかもしれない」という通過儀礼や通行許可のニュアンスも込められており、歌としては遊びながらもどこか不安を誘う構造になっています。
この歌の一節が、やがて日常生活の比喩として独立し、「行きはよいよい帰りは怖い」ということわざとして広く使われるようになりました。特に、計画の序盤が順調すぎる場合や、甘く見ていたことが思いのほか厳しい展開を見せたときに、警句的に引用されます。
まとめ
「行きはよいよい帰りは怖い」は、物事の始めが順調でも、後半に苦労が待っていることを警告する表現です。その語源はわらべうた「通りゃんせ」にあり、もともとは神社への参詣や通行にまつわる伝承や風習と結びついていました。
この言葉は、人生の計画、仕事の受注、旅、買い物、人間関係など、あらゆる場面において「油断禁物」「最後まで気を抜くな」という教訓を含みます。また、思いがけない事態に直面したときに、それをユーモラスに表現する役割も果たしています。
一方で、この表現が持つ「不穏な終わり」や「楽あれば苦あり」といった構造は、日本人の慎重で予防的な思考様式とも重なっており、文化的背景に根ざした知恵とも言えるでしょう。
「帰りは怖い」とは、人生や出来事の終わりが常に予測できないという現実への警鐘であり、準備や計画を怠らず、慎重に物事を進めることの大切さを教えてくれる言葉でもあります。