富貴なれば他人も合い、貧賤なれば親戚も離る
- 意味
- 人付き合いの根っこは、結局のところ利害得失だということ。
用例
人間関係の表面的なつながりや、利害で変わる付き合いの浅さを嘆くときに使われます。また、成功や富が人を集め、逆に没落すると孤独になるという世の冷酷さを語る場面でも用いられます。
- 成功してから急に人が集まってきたが、富貴なれば他人も合い、貧賤なれば親戚も離るとはよく言ったものだ。
- 仕事を失ったとたんに周囲の態度が変わった。富貴なれば他人も合い、貧賤なれば親戚も離るという現実を思い知らされた。
- 昔は親戚づきあいもにぎやかだったが、今では訪ねても来ない。富貴なれば他人も合い、貧賤なれば親戚も離るという言葉の通りだ。
例文はいずれも、金銭的な余裕や社会的地位が人間関係に大きな影響を及ぼす現実を描いています。特に、自分に利益があるときは近づいてくる人が多く、困難に陥ると人が離れていくという、冷淡な世間の有様をこの言葉は鋭く言い表しています。
注意点
この言葉を使う際には、悲観や皮肉の度合いに注意が必要です。現実を冷静に見つめる視点としては有効ですが、周囲の人々への不信感をあおるような使い方になると、聞く側に誤解を与えることがあります。
また、この言葉に頼りすぎると、人間関係をすべて損得で割り切ってしまうような思考になりかねません。真に信頼できる関係や情誼を築く姿勢を忘れずにいたいものです。
背景
「富貴なれば他人も合い、貧賤なれば親戚も離る」は、裕福であれば他人でも寄ってくるが、貧しくなると親戚でさえ離れていくということです。日本の古典的な教訓文や漢詩に見られる表現に由来する言い回しで、人間社会における利害関係の移ろいやすさを象徴的に描いています。
原形に近い表現は中国の古典にも見られ、『韓非子』や『世説新語』といった古代の思想書や説話集に、似たような主題が扱われています。たとえば、「富貴にして以て親しむ者は、貧賤なればすなわち離る」といった文言は、財や地位をめぐる人の集まりと離反を明確に述べたものです。
また、日本においても平安・鎌倉時代からこうした思想は存在し、『徒然草』や『方丈記』などの随筆文学の中でも、富や地位が人間関係を大きく左右する様がたびたび描かれています。室町時代以降、武家や商人の間で現実的な知恵や処世訓としてことわざが広まり、この言葉も民間に定着していったと考えられます。
江戸時代には、町人文化の成熟とともに「世間の風は冷たい」「人の心は移ろいやすい」といった価値観が庶民の実感として語られました。浮世草子や落語などにも、金の切れ目が縁の切れ目という主題がしばしば取り上げられ、そこにこの言葉の精神が息づいています。
現代においても、SNSやビジネスの世界などで、表面上のつながりが増えた分、逆に孤独や疎外を感じる場面が増えています。そうした時代背景において、この言葉の持つリアリズムが再評価されるのも自然なことと言えるでしょう。
類義
対義
まとめ
「富貴なれば他人も合い、貧賤なれば親戚も離る」は、社会における人間関係の移ろいやすさを示す教訓的な表現です。
この言葉は、人が富や地位を得ると周囲の態度が変わり、逆にそれを失えば親しい関係ですら希薄になるという世の現実を、率直かつ鋭く描き出しています。その背景には、古来より繰り返されてきた「富と人間関係」の問題があり、東洋の知恵として長く語り継がれてきました。
ただし、すべての人間関係が利害によって動くわけではありません。困難なときにこそ支えてくれる真の友や家族の存在は、この言葉の対極にあり、それこそが人生において最も価値あるものだと気づかせてもくれます。
この言葉を知ることで、浮ついた関係に頼るのではなく、誠実で持続的なつながりを育む大切さに気づくことができます。また、自らも人の立場が変わったときに心変わりしないようにと、自戒の意味でも用いられるべき言葉だといえるでしょう。