伊達の素足も無いから起こる
- 意味
- 無いものは仕方がないとあきらめ、がまんすること。
用例
欲しいものが無いときや、環境が整っていないときに、不満を言わずに受け入れる場面で使われます。
- 欲しかった資料が手に入らなくても、伊達の素足も無いから起こると自分に言い聞かせた。
- 子供におやつをねだられたが、家に無いので伊達の素足も無いから起こると諭した。
- 会議で必要な機材が足りなかったが、伊達の素足も無いから起こると割り切って進めることにした。
いずれも「不足していても嘆かず、状況を受け入れる」姿勢を表しています。
注意点
このことわざは「諦める」という消極的な態度だけでなく、「無いものを受け入れて冷静に対処する」という前向きな意味も含んでいます。
ただし、あまりに頻繁に使うと「努力せずに諦める」姿勢と誤解されることもあります。あくまでも「現実を受け入れざるを得ない場面」に限定して使うのが適切です。
また現代では表現自体が古風なため、そのまま口語で使うと相手に伝わりにくい場合があります。場面によっては「仕方ない」「無い袖は振れぬ」といった表現に言い換えると理解されやすいでしょう。
背景
「伊達」とは本来、見栄や洒落た趣向を指す言葉です。戦国大名・伊達政宗の華美な装いにちなむとも言われ、江戸時代には「伊達男」や「伊達者」といった表現で、粋な装いや振る舞いを指すようになりました。
「素足も無いから起こる」とは、「足袋が無いのだから、裸足でいるしかない」という意味合いで、「無いものは仕方がない」という発想につながります。見栄を張ろうにも足袋が無ければ素足のままで我慢するしかない、という生活実感から生まれた表現と考えられます。
江戸庶民は、限られた生活の中で工夫しながら暮らしていました。裕福でなくとも、粋に生きようとする気持ちを「伊達」と呼びましたが、その一方で「無いものは無いのだから仕方がない」という諦めの知恵も必要でした。このことわざは、そんな江戸の生活感覚を端的に表したものです。
また、「無い袖は振れぬ」という表現と似ていますが、「伊達の素足も無いから起こる」はより日常的で庶民的な響きを持っています。足袋や草履など衣服に直結するモチーフは、庶民にとって身近で実感を伴うため、共感を呼んだのでしょう。
つまり、このことわざは「粋に生きる」価値観と「現実を受け入れる」知恵とのバランスを表すものであり、江戸庶民の生きる力をよく伝えています。
類義
まとめ
「伊達の素足も無いから起こる」は、無いものを嘆かず、仕方がないと受け入れて我慢することを意味することわざです。
背景には江戸庶民の暮らしの知恵があり、洒落や見栄を楽しみながらも、生活の不足を受け入れる現実感覚が反映されています。
現代でも「欲しいものが手に入らないとき」「環境が整わないとき」に、このことわざを思い出すことで、苛立ちを抑えて前向きに受け入れる姿勢を持つことができます。無いものは無いと割り切ることも、生活の知恵のひとつなのです。