彼も人なり予も人なり
- 意味
- 他人にできることは、努力次第で自分にもできるはずだということ。
用例
優れた人を見て卑屈になるのではなく、「自分も人間である以上、同じように成し遂げられるはずだ」と前向きに奮起する場面で使われます。また、上下関係に過度な差を感じたとき、自尊心を持って自分を励ます言葉としても用いられます。
- 先輩のように堂々と話せる日は来るかな……でも、彼も人なり予も人なりだ。努力しよう。
- あんな偉業を成し遂げた人を前にひるんでしまったが、彼も人なり予も人なり。負ける気はない。
- 偉い人たちも初めは無名だったはず。彼も人なり予も人なりって言葉を信じて進むよ。
これらの用例では、自信の回復や、目標への意志を強めるきっかけとして、この言葉が用いられています。
注意点
「予(われ)」という言葉は古風で硬い印象を与えるため、現代ではあまり口語として使われることはありません。そのため、この表現を会話で使うときは、文脈に応じた説明が必要になる場合があります。
また、前向きな自信を持つことは大切ですが、過信や独りよがりな比較とならないよう、バランスを保つことが求められます。他人を引き下げて自分を高めるような形では、この言葉の真価が損なわれる恐れがあります。
社会的地位や環境が異なることに起因する差を軽視しすぎると、「現実を見ていない」と批判されることもあります。この表現は、希望や勇気を支えるものとして用いるのが最も適切です。
背景
「彼も人なり予も人なり」は、古代中国の思想に源流を持つ表現で、日本では主に儒教や漢学の影響下で広く用いられてきました。特にこの表現は、中国・宋代の儒学者「朱子(朱熹)」の言葉として有名です。
朱子は「聖人に成る道は万人に開かれている」と述べ、人は生まれながらにしてその本質に大差はないと説きました。この考え方は、「人としての本性は誰しも等しく、努力次第で聖人にも達する」という平等思想に基づいており、日本の武士道教育や藩校の教えでも重視されました。
江戸時代の武士階級では、「彼も人なり予も人なり」という言葉が、向上心を促す格言として広く引用されました。出自にとらわれず、日々の修養を積むことが立身出世への道であると説かれたのです。また、学問や武芸の世界でも「自分も志せば同じ域に達せるはずだ」という気概を育む言葉として位置づけられていました。
この言葉の背後には、他者を神格化せず、同じ人間として目標とすることの重要性、そして「努力の価値」を信じる思想があります。それは、現代にも通じる、健全な自己肯定感と希望をもたらす理念です。
類義
まとめ
優れた他者を目にしても、自分を卑下するのではなく、同じ人間として自信と努力をもって歩むことの大切さを、「彼も人なり予も人なり」という言葉は静かに、しかし力強く教えてくれます。これは、出自や境遇を超えた普遍的な人間の可能性への信頼を表す表現でもあります。
現代社会においても、肩書や成功に圧倒されそうなとき、この言葉は自尊心を取り戻すきっかけとなります。他者との健全な比較を通じて、自分自身の進むべき道を見つめ直すことができるでしょう。
ただし、自己正当化や他者否定ではなく、「同じ人間として努力する余地がある」という前向きな意味で使うことが大切です。自らの可能性を信じ、たゆまず歩むことが、この言葉の核心にあります。
「彼も人なり予も人なり」は、人間の尊厳と平等、そして努力によって開かれる未来への信念を表す、不朽の励ましの言葉です。困難や劣等感に押しつぶされそうなとき、心の中でそっと唱えるにふさわしい一語です。