一難去ってまた一難
- 意味
- 災難、困難、苦難が次々とやってくること。
用例
ようやく厄介な問題が片付いたと思ったら、また別のトラブルに直面したときなどに使われます。苦境が連続する様子を、少し諦めや嘆きの気持ちを込めて表す場面で使われるのが一般的です。
- 家の修理が終わったと思ったら、今度は車が壊れてしまった。一難去ってまた一難とはこのことだ。
- 大きな取引を乗り越えた矢先に人事異動の話が来た。一難去ってまた一難、気が休まらない。
- 子供の受験が終わったら、今度は親の介護。一難去ってまた一難の連続で、ほんとうに落ち着く暇がない。
いずれの例も、一つ問題を解決した直後に、次の課題や苦労が襲ってくるという状況が描かれています。やや諦めまじりの口調ながらも、前向きに対応しようとする気配が感じられる点も特徴です。
注意点
この言葉は状況の過酷さを強調する際に使いやすい表現ですが、あまり頻繁に口にすると、周囲に対して「不満ばかり」「愚痴っぽい」といった印象を与えてしまう可能性があります。使う場面やトーンには注意が必要です。
また、あくまでも一連の困難が連続している場合に使う表現であり、たとえば過去の困難から長い時間が経過していたり、内容がまったく別の種類である場合には、無理に当てはめると違和感が生じます。
「また一難」とは言うものの、それが必ずしも不運や悪いことだけとは限らず、単に「試練」としての意味合いで用いられることもあります。苦労の連続=不幸という文脈に限らず、成長や変化の節目としても活用できることを意識しておくと、より深い使い方ができます。
背景
「一難去ってまた一難」ということわざは、日常の中で感じられる困難の連鎖を簡潔に言い表した表現で、古くから日本語の中で自然に使われてきました。「難」は「困難」「災難」「災い」などを意味し、「一難」「また一難」と畳みかけるように繰り返されることで、その連続性とやりきれなさが強調されています。
もともと「一難去ってまた一難」は、漢文的な構造を持たない、日本語固有の言い回しと考えられており、庶民の口語的な生活実感から生まれた言葉です。江戸時代の人々の会話や浮世草子などにも似た表現が登場しており、当時の庶民も現代人と同じように「苦労の連続」を実感していたことがうかがえます。
この言葉は、過酷な現実を軽妙に表現することで気持ちを軽くする、いわば「ため息混じりの知恵」として受け継がれてきました。日本語のことわざには、困難や苦労をユーモラスに、あるいは諦念を交えながら語るものが多く見られますが、この表現もその一つです。
現代においても、ビジネスや家庭生活、介護・育児といった多忙な日常の中で、多くの人が「やっと終わったと思ったのに、またか…」という感情を味わっています。そうしたときに、この言葉はちょっとした共感や笑いを生む「気持ちの処方箋」として機能するのです。
また、文学作品やドラマのセリフなどでもしばしば登場し、特に親しみやすく、共感されやすい表現として根強い人気を持っています。
類義
まとめ
「一難去ってまた一難」は、ようやく一つの困難を乗り越えたと思ったら、すぐに次の困難がやってくるという状況を表す言葉です。連続する問題に振り回されながらも、何とか踏ん張って生きていく人々の姿を、ユーモラスかつ率直に映し出しています。
この言葉は、苦しいときこそ自分を俯瞰して笑い飛ばす余裕を持とうとする、日本人らしい精神の表れでもあります。たとえ困難が続いても、それにめげず一歩一歩進んでいこうという気持ちを後押ししてくれる言葉です。
人生は思うように進まないことばかりですが、そんな日々の連続の中で「また一難が来た」と感じたとき、この言葉を思い出すことで、少しだけ心が軽くなるかもしれません。