WORD OFF

誇大こだい妄想もうそう

意味
自分の能力や地位などを実際以上に大きく思い込むこと。

用例

自己認識が現実とかけ離れており、過剰に自分を大きく見積もっている人物や、その言動を評する際に使われます。精神医学用語としても日常語としても使われます。

どの例文も、客観的な事実と著しく乖離した自己評価や主張を批判的、あるいは分析的に捉えています。誇大妄想は単なる「自信過剰」ではなく、現実認識のズレを含む点に特徴があります。

注意点

「誇大妄想」は、精神医学においては妄想性障害や統合失調症の症状として分類されることもある専門用語です。そのため、医学的な文脈では慎重に使用する必要があります。

一方、日常会話や評論などでは比喩的に「自惚れが強い」「現実が見えていない」といった意味で広く使われていますが、この際にも対象を侮辱する意図がないか注意が必要です。相手の人格を過度に攻撃する表現として受け取られる可能性があるため、使用の場面と語調には気を配る必要があります。

また、「誇大妄想=異常」と即断するのではなく、その人の背景や心理を丁寧に読み取ることも、コミュニケーションにおいては重要です。

背景

「誇大妄想」という言葉は、漢語的な構成によって意味を明確にしています。「誇大」は「大げさに誇張すること」、「妄想」は「根拠のない空想や思い込み」を意味します。これらを合わせた語であるため、「根拠なく自分を大きく見積もる幻想」といった意味合いを持ちます。

もともとは19世紀以降の西洋医学、特に精神医学の分野において「megalomania(誇大妄想)」という概念が整備され、それを翻訳する過程で「誇大妄想」という語が定着しました。これは「自分が王や神である」「世界を動かす能力がある」といった強い誇張を伴う信念を指し、特に統合失調症や躁病の一症状として記録されました。

このような病理的な意味合いとは別に、日本語では次第に一般的な語として使われるようになりました。昭和期以降の評論文やエッセイでは、特定の政治家や芸術家、企業家の言動を「誇大妄想」と評する例が増え、現実の自他境界が曖昧になっている人物を指す批評語となっていきました。

現代では、SNSやメディア空間においても「誇大妄想」はよく使われる表現となっており、自己演出の過剰さや他人の共感を得にくい高望みの象徴としても機能しています。たとえば「俺がこの国を変える」「自分は世界一の才能だ」といった極端な自己主張は、その根拠や実績が伴っていなければ、「誇大妄想」として揶揄される可能性があります。

一方で、この語の背景には、「夢想」や「希望」と「妄想」との境界線が曖昧であるという問題も含まれています。つまり、ある人の信念が「大志」と評価されるか、「誇大妄想」と受け取られるかは、周囲の評価や文脈次第であり、単なる主観の問題では片付けられない複雑さがあるのです。

このため、「誇大妄想」という語を使うときは、相手を批判するだけでなく、なぜそのような信念が生まれたのかという背景にも目を向ける視点が求められる場面が増えています。

類義

まとめ

「誇大妄想」は、自らの能力や立場を過剰に高く評価し、現実と著しく乖離した考えに囚われている状態を表す言葉です。精神医学に由来する専門語でありながら、日常でも比喩的に使われることが多く、特に極端な自己主張や虚飾に対して用いられます。

この表現には批判や警告の意味が込められる一方で、人間が抱く願望や理想と「妄想」との境界が曖昧なことも、背景として押さえておくべき点です。時に、実現不可能に見えた理想が果たされることもあり、その場合には「誇大妄想」と呼ばれていた発言が後に「先見の明」と評価されることさえあります。

したがって、「誇大妄想」という言葉を使う際には、単なる嘲笑や否定ではなく、冷静な観察と文脈への理解が求められます。その人が何を求め、なぜそこまで強く信じるに至ったのかを見つめる姿勢が、表現の責任と共に大切にされるべきでしょう。

この言葉は、現実と理想の間で揺れる人間の姿を映し出す鏡でもあり、現代社会における自己認識と社会的評価の乖離を象徴する表現ともいえます。