WORD OFF

六十ろくじゅう手習てなら

意味
年をとってから新しいことを学び始めること。

用例

高齢になってから習い事や勉強を始めた人、引退後に新たな挑戦をする人などに対して使われます。年齢に関係なく学ぶ姿勢を肯定的にとらえる文脈で使われるのが一般的です。

例文はすべて、年齢を理由に諦めず、新たな挑戦をしている人物を温かく見守る視点で使われています。この言葉には、年齢への自嘲や皮肉が込められることもありますが、最近ではむしろ「遅くない」「今からでもできる」といった前向きな意味合いが強くなっています。

注意点

この言葉には、場合によっては年齢を強調しすぎるニュアンスや、からかいや揶揄として受け取られる恐れもあります。使う相手や場面には慎重になるべきです。

特に、相手が新しいことを始めることに対して繊細になっている場合は、「今さら何を」と取られかねません。できるだけ敬意や応援の気持ちを添えて使うようにすることが望まれます。

また、六十という具体的な年齢を含んでいるため、実際の年齢と一致しないケースでは、「手習い」に重点を置いた表現や言い換えも検討するとよいでしょう。

背景

「六十の手習い」という表現は、江戸時代以降に広まったとされる日本のことわざです。人生五十年といわれていた時代には、六十歳とはすでに大往生に近い年齢であり、その段階で新たなことを学ぶのは「非常に遅い」と見なされていました。

しかしながら、この言葉には皮肉だけではなく、「年を取っても学ぶことをやめない姿勢」への敬意も含まれており、実際には肯定的なニュアンスで使われることも多かったようです。江戸期の文献や川柳にも、年寄りがそろばんや習字を習い始める様子がユーモラスに描かれています。

近代以降、平均寿命が大幅に延びたことにより、「六十の手習い」は単なる皮肉ではなく、人生後半の学び直しや新しい挑戦を象徴する言葉として、教育界や生涯学習の文脈でも再評価されるようになりました。

現代では、定年退職後の再就職や趣味の開拓、デジタル機器の習得など、第二の人生を積極的に歩む象徴としても用いられています。

まとめ

「六十の手習い」は、年齢を重ねてから新しいことに取り組む姿勢を表した言葉であり、かつては皮肉の響きもありましたが、今では前向きな意味で広く受け入れられています。

この言葉には、年齢を理由に諦めない生き方や、生涯を通じて成長し続ける姿勢への尊敬が含まれています。むしろ年を取ったからこそ、自分のペースでじっくりと学びを楽しむことができるという考えも広まりつつあります。

人生のどの段階においても、新しい知識や技能を得ることに遅すぎるということはありません。「六十の手習い」という言葉は、そのことをやさしく、そして力強く語りかけてくれます。

変化が激しく、年齢を重ねることがときに不利とされる現代社会においても、学び直しの姿勢を応援するこの言葉は、変わらず大きな意味を持ち続けているのです。