隴を得て蜀を望む
- 意味
- 人間の欲望には際限がないということ。
用例
目標を達成した直後に、さらに上のものを望んだり、満足せずに欲を広げていく様子を表す場面で使われます。ビジネスや受験、恋愛など、あらゆる分野で人間の欲深さを描写するのに適した表現です。
- 第一志望の大学に合格したのに、今度は海外留学を目指すとは、隴を得て蜀を望むような話だ。
- 売上目標を大幅に達成したら、隴を得て蜀を望むで、すぐに次の部門にも進出したいと言い出した。
- 新車を買ったばかりなのに、もっと高級なモデルが欲しいと言い出すとは、隴を得て蜀を望む奴だ。
例文はいずれも、「ひとつ得たら、また次を」という欲望の連鎖を示しています。どれも客観的でやや皮肉めいた響きを持ち、好意的というよりは「欲深い」「限りがない」といったニュアンスで用いられています。
注意点
この言葉は、基本的に人間の欲望の終わりのなさを批判的、あるいは皮肉的に述べる表現です。そのため、前向きな努力や向上心を称える文脈には不向きです。特に、他人の努力や成功を貶すような使い方になると、侮蔑や嫉妬と受け取られかねないため、慎重な使用が求められます。
また、由来が漢文調であり文語的な響きが強いため、日常会話ではやや硬い印象を与えることがあります。文芸や論評の文脈で用いるとより自然です。
背景
「隴を得て蜀を望む」は、中国の故事に由来する表現です。「隴」と「蜀」は、いずれも現在の中国西部に位置する古代の地名で、隴は甘粛(かんしゅく)地方、蜀は四川(しせん)地方を指します。
もともとは『後漢書』や『三国志』などに見られる言い回しで、戦国や三国時代の武将や覇者たちが、一国を手にした後、さらに次の領土を求める様子を表しています。つまり、一つの成功に満足せず、さらに大きなものを欲しがる欲望の象徴として語られてきました。
この考え方は、儒教的な「知足(足るを知る)」という価値観と対比されるもので、人間の欲望の限界のなさや、満足することの難しさを戒める教訓的な表現でもあります。仏教にも通じる思想であり、貪欲(とんよく)の戒めとしても使われてきました。
日本でも古くから儒学者や文人が引用し、詩や随筆、説教などに頻出する言葉として定着しています。現代では、企業の拡大戦略や政治家の権力欲などを批判する場面で、比喩的に用いられる傾向があります。
類義
対義
まとめ
「隴を得て蜀を望む」は、一つの願いが叶ったあとにさらに欲を出す人間の性(さが)を鋭く突いた言葉です。そこには、限りない欲望の滑稽さや、満足を知らないことへの皮肉が込められています。
この表現は、ただ欲張りであるというよりも、「得たものに感謝できず、常に次を求めてしまう心の動き」を冷静に捉えたものです。だからこそ、深く自分を省みるきっかけにもなる教訓的な力を持っています。
現代社会においても、物質的な豊かさや社会的地位、情報、快楽といったさまざまな「欲望の対象」があるなかで、どこまで求め、どこで満ち足りるのかという問いは普遍的なテーマです。
「隴を得て蜀を望む」は、その問いを静かに、しかし鋭く突きつける表現であり、時代や立場を超えて、自分自身の欲との向き合い方を見直させてくれる言葉です。