WORD OFF

まなびてときこれならう、またよろこばしからずや

意味
学んだことを折にふれて復習・実践すると、深く理解できて喜ばしいものであるということ。

用例

学んだ知識や技術を、自分の中に定着させるために何度も繰り返し学ぶ、あるいは学んだことが実際に役に立ったときなどに、喜びと充実感をもって使われます。

これらの例は、学習内容が知識として定着し、それが成果となって表れたことに対する喜びや手応えを表しています。単なる知識習得ではなく、実際に活かす・繰り返すことの大切さを実感する場面で使われます。

注意点

この表現は古典中国語の文語であり、現代の会話ではやや堅く、また文脈を知らない相手には意味が伝わりにくい可能性があります。したがって、教育や学術的な文脈、あるいは儀式的・引用的な使用に限られる傾向があります。

また、「習う」を現代語の「教わる」と誤解されやすい点に注意が必要です。ここでの「習う」は「繰り返して練習する・実践する」という意味です。「学び」と「習い」の区別を理解することが、正しくこの言葉を使う上で重要です。

この言葉には学びを楽しむ姿勢が前提となっているため、強制的・形式的な学習にはそぐわない場面もあります。

背景

『論語』の冒頭、「学而(がくじ)篇」第一章に記された、孔子の有名な言葉です。

「子曰く、学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。」

この言葉は、『論語』全体の精神を象徴するものとして、最初に置かれました。孔子にとって、学ぶことは単なる知識の獲得ではなく、それを繰り返して確認し、身体と心に染み込ませていく行為であり、そのプロセス自体に喜びがあると考えられていたのです。

「時に之を習う」とは、「適切な時に復習する」「繰り返して身につける」「実生活で応用する」といった意味を持ち、学びを実践や体験の中で定着させることの価値を強調しています。

また、「亦説ばしからずや」の「説ぶ」は「満足する・嬉しい」という意味であり、他人に評価される喜びではなく、内面的な充実感や知的歓びを指します。これは、儒教の根本にある「自己修養」の思想と深くつながっています。

この言葉は、古来より日本の教育現場でも重視されてきました。江戸時代の寺子屋教育から、近代以降の道徳教育に至るまで、学ぶことの本質や態度を語る際に、この言葉は繰り返し引用されてきました。

まとめ

「学びて時に之を習う、亦説ばしからずや」は、学びを繰り返し、実践し、理解が深まることにこそ、知的な喜びがあるという孔子の教えを端的に表した言葉です。知識を得ることに終始せず、それを何度も確かめ、応用しながら、自分のものにしていくという学習の理想を示しています。

この言葉には、学ぶことそのものを楽しむという積極的な姿勢、知識の定着と実践を通じて深まる自己成長、そしてそれを実感できる内的な喜びが込められています。評価や競争とは無縁の、静かで確かな満足感がそこにはあります。

また、学びの反復を前向きに捉えるこの姿勢は、現代の学習観にも通じます。反復練習や実践を重ねることによって理解が深まり、結果として自信や喜びが得られるという考えは、脳科学や教育心理学の分野でも支持されています。

このように、「学びて時に之を習う、亦説ばしからずや」という言葉は、今も昔も変わらず、真の学びの本質を教えてくれる名言として、多くの人々の心に響き続けているのです。