万事休す
- 意味
- すべての手段が尽き、もはや打つ手がない状態。
用例
切羽詰まった状況で、打開策が見つからず、あらゆる希望が絶たれたときに使われます。ビジネスや勝負事、人生の転機など、深刻な局面でよく用いられます。
- 再建案がすべて否決され、資金も底を尽き、万事休すとなった。
- 延長戦で逆転を許し、万事休すのピンチに陥った。
- 味方は全滅、武器も尽きて、万事休すと悟った武将は潔く自刃した。
最終的にあきらめるしかない、という極限状態を表現する強い言葉です。
注意点
この言葉は非常に断定的かつ絶望的な意味を持つため、軽々しく使うと誤解や不快感を招くおそれがあります。特に冗談や比喩で用いる場合、状況の深刻さと一致していないと、大げさまたは不謹慎に受け取られる可能性があります。
また、「まだ望みがある」と考えている人に対して「万事休す」と言い切ってしまうのは避けるべきです。希望や努力の余地を否定するような響きがあるため、用いる場面には十分な配慮が必要です。
逆に、本当に打つ手が尽きたということを冷静に受け止め、次の選択肢を模索する場面で使えば、悲壮感のなかにも潔さを感じさせる言葉となります。
背景
「万事休す」は、古典中国語に由来し、日本では特に戦国時代から江戸時代にかけて武士や儒者のあいだで広まった言葉です。
「万事」はあらゆること、「休す」は「終わる」「停止する」「やむ」を意味し、全体として「すべてが終わった」「完全に手詰まりである」となります。古典的な表現でありながら、その分かりやすさとインパクトの強さから、現代でも新聞の見出しや小説のクライマックスなどによく用いられています。
戦国時代の記録や軍記物語では、戦局が完全に敗色濃厚となった場面での「万事休す」が多く登場します。たとえば城が落ち、援軍も来ず、兵糧も尽きたとき、武将が「万事休す」と嘆きながら自刃に至るといった描写は、読者に強い印象を残します。
また、儒教や仏教思想の影響を受けた日本の文化では、「定めには逆らえない」「人事を尽くして天命を待つ」といった考え方と親和性が高く、万策尽きたときの諦観や潔い態度は美徳とされてきました。
近代以降も、「万事休す」は文学や演劇、映画などさまざまなジャンルで用いられています。悲劇的な結末やクライマックスでの決定的な転機として、短く鋭く心情を表す言葉として重宝されてきました。
また、似た意味の言葉に「絶体絶命」「手の打ちようがない」「成す術なし」などがありますが、「万事休す」はやや文語的で格調の高さがあり、厳粛な場面や歴史的叙述にもよく合います。
類義
対義
まとめ
「万事休す」は、もはや打つ手がなく、事態が完全に行き詰まったことを示す強烈な言葉です。希望が断たれ、すべての可能性が尽きた状況を端的に、しかも品格をもって表現できるため、歴史的な場面や文学作品、ビジネスの破綻局面など幅広く用いられてきました。
この言葉が持つ響きには、絶望だけでなく、諦念や潔さ、そして限界を受け入れる覚悟といった、日本人の精神性に通じる深い含意があります。ただの悲観にとどまらず、終わりを受け入れる姿勢が込められているからこそ、時に凛とした余韻を残すのです。
現代でも、「もうだめだ」と口にするよりも、「万事休す」と言えば、言葉に重みと文学的な美しさが加わります。使いどころを慎重に見極めれば、この古くからの表現は、現代においても有効な語彙として生き続けるでしょう。