飲む打つ買う
- 意味
- 男性の主な道楽(酒・ギャンブル・女遊び)。
用例
主に男性に対して、私生活の乱れや無責任な行動、放蕩の限りを尽くすような振る舞いを批判・揶揄する場面で使われます。時に自嘲的にも用いられます。
- 彼は仕事そっちのけで飲む打つ買うに夢中になり、家庭を顧みなくなった。
- 昔は飲む打つ買うの典型みたいな人だったけど、今ではすっかり真面目になったらしい。
- 小遣いを飲む打つ買うで使い果たすようじゃ、貯金なんて夢のまた夢だ。
いずれも、生活の基本や責任を放棄し、享楽に溺れる様子を非難・皮肉のこもった口調で表しています。
注意点
この表現は否定的ニュアンスを含み、価値観を問うような場面でもあるため、使用には注意が必要です。特に現代では「買う(=性を買う)」の部分が倫理的・社会的に強い反発を招くことがあり、公共の場やフォーマルな文脈にはふさわしくありません。
また、女性を商品扱いするような含意を含む可能性もあるため、性別に関わらず使用には慎重さが求められます。軽い冗談のつもりでも、聞き手によっては不快感や不信感を生むことがあります。
同様に、自嘲的に用いる場合も、「だらしない」「信頼できない」といったイメージを自ら植え付けてしまうことになりかねません。
背景
「飲む打つ買う(のむ・うつ・かう)」は、江戸時代後期から明治期にかけての庶民文化や男性文化の中で広まった俗語です。三道楽(さんどうらく)とも呼ばれ、以下の三つを指します。
- 飲む
- 酒に溺れること。酔いにふけり、健康や理性を損なうこと。
- 打つ
- 博打を打つこと。金銭を賭けて勝負し、財産を失う可能性がある行為。
- 買う
- 遊女(後には風俗なども含む)を買うこと。性を金で買い、放蕩する行為。
これらはすべて、金と時間と節度を失わせるものとして、仏教や儒教的な価値観からは堕落とみなされてきました。ことに封建社会や戦前の日本においては、家制度や家長としての責任を果たすべき立場の男性がこの三道楽にふけることは、家庭崩壊や没落の原因として戒められていました。
戦後の昭和期には、サラリーマン社会の拡大とともに、これらの道楽が中高年男性の「ささやかな楽しみ」として描かれることもありましたが、同時に「だらしなさ」や「不誠実さ」の象徴でもあり、週刊誌や落語、時代劇などでもしばしば登場する定型句となりました。
一方で、現代では価値観の多様化とともに、この三つのうち一部(たとえばギャンブルや買春)に対しては社会的・倫理的批判が強まりつつあり、単なる「男の道楽」という言い方は許容されにくくなっています。
まとめ
節度を欠き、欲望のままに酒・ギャンブル・女遊びにふける生活を象徴する「飲む打つ買う」という言葉には、享楽に溺れた人間の滑稽さと危うさが凝縮されています。
この表現は、一見ユーモラスで軽妙な響きを持ちつつも、その実、責任感の欠如・家庭崩壊・人生の転落といった深刻な問題を背景に持っています。だからこそ、単なる悪口や冗談としてだけではなく、人間の弱さや社会の目を映す鏡としての深みを備えているとも言えるでしょう。
現代においては、この言葉をどう使うかによって、発言者の価値観や立場も問われることになります。「飲む打つ買う」が当たり前だった時代は過ぎつつあります。だからこそこの言葉を使うときは、その歴史的背景や含意をよく理解し、表現としての重さを意識することが求められます。
道楽に溺れることの滑稽さと哀しさを、一言で描き出すこの表現は、今なお使われる価値のある言葉であると同時に、慎重に扱うべき言葉でもあるのです。