断じて行えば鬼神も之を避く
- 意味
- 強い決意で物事を断行すれば、どんな障害や困難でさえも退くということ。
用例
何かをやり遂げようとするとき、確固たる覚悟を持って取り組めば、周囲の妨げや運命すらも乗り越えられるという信念を表すときに使います。受験や挑戦、改革など、逆風の中で前進する覚悟を語る場面でよく使われます。
- この計画は難航しているが、断じて行えば鬼神も之を避くの心意気で貫こう。
- どれだけ周囲が反対しようと、断じて行えば鬼神も之を避くという覚悟があれば突破できるはずだ。
- 大きな壁にぶつかっても、断じて行えば鬼神も之を避くと信じて一歩ずつ進んでいこう。
これらの例文では、強固な意志と実行力こそが困難を打ち破る鍵であるという信念が込められています。理屈や運のせいにせず、決断と実行に価値を置く姿勢が鮮明に表現されています。
注意点
この言葉は、決断と行動の力を称揚する強いメッセージを含みますが、一方で無謀な突進や独善的な判断を正当化する口実にされやすい面もあります。「断じて行う」ためには、十分な熟慮と準備が前提であり、ただ勢い任せに進めばよいというものではありません。
また、「鬼神も避ける」とされるほどの強さを示すには、精神論だけでなく、実行力・継続力・責任感など多面的な力が必要とされます。周囲への配慮や柔軟性を欠いた実行は、かえって人心を失うこともあるため、「強く断じる」ことと「独断専行」とを混同しないように注意が必要です。
この言葉を他人に対して用いる場合、強制や圧力と受け取られることもあり、「お前もやればできるはずだ」といった無責任な励ましにならないよう配慮が求められます。
背景
「断じて行えば鬼神も之を避く」は、『史記』の「李斯列伝」に記されています。李斯は秦の宰相で、始皇帝に仕え、統一後の法制度の整備に大きな役割を果たした人物です。しかし、始皇帝の死後は宦官・趙高と結びつき、のちに対立し、悲劇的な最期を遂げました。
問題の場面は、始皇帝が死去し、跡継ぎを決める政変期に登場します。趙高は自らの権勢を強めるため、李斯に対し「断じて行えば鬼神も之を避く」と語り、決断の重要性を強調しました。つまり、運命すら変えられるほどの強い決意で動けば、人事を左右できるという、政治的な駆け引きの一環だったのです。
「鬼神」は人智を超えた存在を意味し、当時の人々は吉凶禍福を司ると信じていました。趙高の言葉は、その鬼神ですら退ける力が人の断固たる意志にある、と強調することで、李斯を行動に駆り立てる狙いを持っていました。
やがて李斯は趙高に利用され、最終的には罠にかかり処刑されます。この歴史の流れを踏まえると、「断じて行えば鬼神も之を避く」はただの成功哲学ではなく、権力と決断の恐ろしさを示す警句とも受け取れるのです。
日本でもこの言葉は早くから知られ、武士や志士たちが覚悟を語る際に引用してきました。時代とともに「断固とした決意があれば道は開ける」という前向きな格言として定着しましたが、その背景には権謀術数と悲劇的な人間模様があったことは見落とせません。
類義
まとめ
「断じて行えば鬼神も之を避く」は、人間が強い信念と覚悟をもって道を進むとき、その力は超自然的な障害すらも退けるほど大きいという、気概に満ちた言葉です。人が恐れや迷いを捨て、断固たる意志で物事に取り組むことの尊さと力強さを、力強く語りかけてきます。
この言葉が持つ本質は、単なる勢いや無鉄砲さではなく、「深く考えたうえでの決断」と「それを支える覚悟」にあります。決意し、信じた道を進み通す――その姿勢こそが、自らの運命を切り拓く鍵となるのです。
しかし、現代においては「鬼神を避けさせる」ほどの意志を持つことが難しくなっているとも言えます。情報過多の時代、迷いや選択肢に惑わされがちですが、それでもなお「自分はこうする」と断じて決める力が、人生を切り開く場面で求められることは少なくありません。
どんな時代にあっても、「断じて行う」覚悟をもった人間の姿は尊いものです。自己の信念に従い、道を誤ることなく前進する。その姿勢が、困難に立ち向かう多くの人にとって、勇気を与える光となっていくでしょう。