千慮の一失
- 意味
- どれほど賢明な人物でも、思考の中に一つくらいは誤りがあるということ。
用例
普段は極めて優秀で失敗の少ない人物が、思いがけないミスをしたときなどに使われます。失敗を責めすぎず、誰にでも間違いはあると受け止める場面で、寛容の意を込めて用いられます。
- あの彼が判断を誤るなんて思わなかったけど、千慮の一失ってこともあるさ。
- 推理ドラマでいつもなら犯人を確実に当てる彼だけど、今回は千慮の一失で外れたね。
- この程度の失敗で騒ぐなよ。君の実績を考えたら、千慮の一失に過ぎないさ。
いずれも、「例外的な過失」であることを強調し、その人物本来の優秀さや信頼性を揺るがせないよう配慮した使い方になっています。ミスに対する冷静で思いやりある評価の表現として活用されています。
注意点
この表現は、「普段は非常に優秀な人物」が前提であるため、あまりに軽率なミスや日常的に失敗を繰り返す人には使うべきではありません。使うことでかえって皮肉や違和感を与えてしまうおそれもあります。
また、失敗を擁護するための便利な決まり文句として多用されると、誠実さを欠いた印象を持たれることもあります。失敗の内容や影響の大きさを踏まえたうえで、適切に使う必要があります。
誤用すれば「失敗を正当化する言い訳」と捉えられる危険もあるため、慎重な配慮が求められます。
背景
「千慮の一失」の出典は、中国戦国時代の歴史書『史記』の「淮陰侯列伝(かいいんこうれつでん)」です。この中で、漢の名将・韓信(かんしん)が、斉の王を立てるか否かという政治的判断を巡って劉邦の不興を買ったことを、韓信自身が「千慮の一失」と自嘲する場面があります。
「慮」とは「思慮・考慮」のことで、「千慮」とはそれだけ多くの考慮をめぐらせる賢者を表しています。その賢者ですら、「一失」=わずか一度の誤りを犯すことがあるというのが、この言葉の本義です。
この表現は、賢者や英雄といった非凡な存在でも過ちを避けきれないという、深い人間理解に基づいています。同時に、過失に対して過度に非難せず、人物全体を正しく評価するべきだという戒めも込められています。
日本においては、江戸時代以降の儒学教育を通じて知識人層に広まり、現代では特に政治・経済・教育・報道など、知的判断を伴う職業領域で好んで用いられています。
類義
対義
まとめ
「千慮の一失」は、どれほど聡明な人物でも、まれに過ちを犯すことがあるという、人間の限界を認める言葉です。
この言葉の持つ力は、過ちを責めるのではなく、その人物全体の功績や資質に目を向ける寛容さにあります。ときに、世の中は結果だけを見て判断しがちですが、この表現は「一度の失敗ですべてを否定してはならない」という教訓を与えてくれます。
ただし、この言葉を用いるには、その人がふだんから信頼され、判断力を評価されているという前提が必要です。失敗に対する正しい評価と、相手の人間性を尊重する姿勢が伴ってこそ、この表現は生きた言葉になります。
「千慮の一失」は、他者の失敗をどう受け止めるかという私たちの姿勢を問う言葉でもあります。冷静で寛大な視点を忘れないための、大切な知恵として胸に留めておきたい表現です。