九仞の功を一簣に虧く
- 意味
- 長年の努力や積み重ねが、最後のわずかな油断や失敗で台無しになること。
用例
長い年月をかけて築いてきた信頼関係、事業、交渉などが、最終段階での誤りや軽率な行動によって崩れる場面で使われます。
- 多くの実績を積み上げてきた彼だが、不祥事で九仞の功を一簣に虧いた。
- 慎重に準備を重ねてきた計画も、最後のミスでぶち壊しに…。九仞の功を一簣に虧く結果となった。
- 資格試験で全問正解したはずが不合格だった。九仞の功を一簣に虧く、受験番号と名前を書き忘れていた。
いずれも「あと一歩」という段階でのつまづきによって、それまでの成果が無に帰するという無常さや教訓を示しています。
注意点
この表現は、古典的で格調高い文語調の言い回しであるため、日常会話にはあまり馴染みません。主に文章表現やスピーチ、論説文などで用いるのが適しています。
また、構成がやや難解で、意味を正確に伝えるには前後の文脈に配慮が必要です。「九仞」と「一簣」の意味を理解していない読者には通じにくいため、使う場面では補足的な説明や具体例を添えると効果的です。
この表現の主旨は「最後まで油断せずにやり遂げよ」という教訓ですが、誤って「一簣の努力で九仞の成果が得られる」と逆に解釈されることもあるため、使用時は正しい意味を把握しておく必要があります。
背景
「九仞の功を一簣に虧く」という言葉は、中国の古典『書経(尚書)』の「旅獒」篇に見られる句に由来します。「仞(じん)」とは、古代中国の長さの単位で、およそ2.3メートル前後とされ、「九仞」は非常に高い山を意味します。一方、「簣(き)」は土を運ぶ竹製のかごのことを指し、「一簣」はわずかな労力、つまり最後の一杯分の土という意味です。
この言葉の本意は、「九仞の山を築くほどに大きな努力をしても、最後の一簣の土を積まなければ完成しない」というもので、そこから「最後の詰めを怠れば、これまでの努力が無駄になる」という教訓が導かれました。
古代中国では、為政者や将軍、学者が戒めの言葉としてこの表現を用い、自他ともに慢心や油断を戒める場面で引用されてきました。儒教的価値観が重視された日本の武士階級や学者階級にも、この語は早くから取り入れられ、江戸時代の儒学者の著作や武士の家訓などにも見られます。
現代においても、国家事業や企業活動、スポーツ、教育など、長期間にわたる努力を必要とする分野において、節目ごとのスローガンや警句として引用されることがあります。
類義
対義
まとめ
「九仞の功を一簣に虧く」は、長年の努力や積み重ねが、最後のほんの些細なミスや油断によってすべて無駄になることを示す、強い警句的意味を持つ表現です。その響きには、古代中国の思想や尺度が色濃く残っており、単なる比喩以上に、慎重さ・謙虚さ・継続性といった美徳の大切さを伝えています。
この言葉は、達成目前の状況においてこそ真価を発揮します。成功を目前にしているとき、人はしばしば気が緩み、慎重さを欠きがちです。しかし、まさにその「最後の一簣」の有無が、全体の完成を決定づけるのです。努力を継続することと同時に、最後まで丁寧に仕上げることの重要性を、深く刻みつけてくれます。
また、失敗を振り返る際にもこの言葉は有効です。「なぜ失敗したのか」を考えたとき、それが「一簣の怠り」であったならば、再び立ち上がるための教訓として活用できます。
目標を成し遂げるには、最初から最後まで、すべての過程に誠実であること。その意識を支えるために、「九仞の功を一簣に虧く」は、時代を超えて生き続ける格言なのです。