猿猴が月を取る
- 意味
- 実現不可能なことを無理に成し遂げようとして、かえって身を滅ぼすこと。
用例
主に、叶いそうもない望みを無理に追い求めて、結局は失敗したり大きな損害をこうむった場面で使われます。無謀な挑戦や、見かけに惑わされて身を危うくした行動などに対して、警告的あるいは皮肉的に用いられます。
- 一攫千金を狙って投資に手を出したが、全財産を失ってしまった。まさに猿猴が月を取る結果となった。
- 届きもしない相手に恋をして、仕事も人間関係も台無しにした。まるで猿猴が月を取るような話だった。
- 実力も経験もないのに、社長の椅子を狙った彼だが、猿猴が月を取るで、かえって同僚からの信頼を失った。
これらの例文は、目標が非現実的でありながら、それを得ようとしたことで破滅を招いたケースを描いています。達成不可能なものに執着し、かえって取り返しのつかない事態に陥る過程を示しています。
注意点
この言葉は、過大な欲望や非現実的な願望に対して警鐘を鳴らす表現です。そのため、他人の努力や夢に対して安易に使うと、「馬鹿にしている」「可能性を否定している」と受け取られる危険があります。
とくに、まだ試みの段階にある人や、努力を続けている人に対して使うと、意欲や希望を削いでしまう可能性があるため注意が必要です。実際に破綻や失敗が明確になっている場面、あるいは自分の過去の教訓を語る場面などで使うほうが適切です。
また、「猿猴」という言葉自体がやや文語的で難解なため、日常会話で使うには相手の理解度に配慮する必要があります。言い換えや補足を加えると伝わりやすくなります。
背景
「猿猴が月を取る」は、中国の故事に由来することわざで、古くから仏教や儒教の説話の中で用いられてきました。「猿猴」とは、猿の一種を意味し、水面に映った月を本物と誤認して、それを取ろうとして水に落ちてしまうという逸話に基づいています。
この話の原型は、仏教経典『法華経』や中国の説話集『荘子』『韓非子』などにも見られ、「執着や欲望にとらわれることの愚かさ」を象徴的に表した寓話とされています。
また、猿が木の枝から枝へと連なって手を取り合い、水面に映る月を取ろうとした結果、最後に誰かが枝を滑らせ、全員が水に落ちてしまうという展開も多く語られています。これは、仲間同士の無謀な協力による集団的な失敗を象徴しています。
こうした逸話には、「目に映るものが真実とは限らない」「欲に目がくらむと本質を見誤る」といった深い教訓が含まれており、古来より知恵として語り継がれてきました。
日本でも、江戸時代の仏教説話集や風刺文学、講談などにこの話がたびたび登場しており、「見かけに惑わされることの愚かさ」や「欲の深さによる身の破滅」という教訓として民間に広まりました。
現代においても、うわべの利益や表面的な成功にとらわれて判断を誤るケースは多くあり、この表現はそのたびに重みを持って響くものです。
まとめ
「猿猴が月を取る」は、実現不可能なものを無理に手に入れようとして、かえって破滅を招くことのたとえです。水面に映る月という幻影にとらわれた猿の姿は、現実の人間社会における過剰な欲望や幻想的な目標への執着と重なります。
この言葉は、非現実的な夢や願望を持つことそのものを否定するのではなく、「それに盲目的に突き進む危険」を教えるものです。見誤った目標に気づかず突き進むことで、自分だけでなく周囲も巻き込んで崩壊することがあるという警句でもあります。
現代においても、派手な投資話や過剰な成功志向、SNS上の虚構の自己演出など、「月」に見えるものに惑わされる場面は少なくありません。そうしたときに、この言葉がふと心に浮かぶことで、自分の立ち位置や現実との距離を冷静に見直すことができるかもしれません。
目に見えるものに心を奪われることなく、足元を見据える冷静さ――このことわざは、そんな慎重さと知恵をそっと教えてくれるのです。