馬から落ちて落馬する
- 意味
- 同じ意味の言葉を重ねて繰り返していることを揶揄する言い方。
用例
冗長な言い回しや、意味の重複している言葉づかいを指摘する場面で用いられます。言葉の使い方に対して批判的・ユーモラスに突っ込むときに使われます。
- 「頭痛が痛い」って、馬から落ちて落馬するみたいな表現だよ。
- 「一番最後」という言い方はよく聞くけど、馬から落ちて落馬すると同じだよ。
- 「後で後悔する」なんて言うけど、馬から落ちて落馬するってやつだよ、それ。
このことわざは、ある語句がすでに含んでいる意味を、別の言葉でさらに繰り返してしまう、過剰で冗長な言い回しを批判する際に使われます。重言や重複表現への皮肉としてよく知られています。
注意点
この表現は、言葉の重複や無駄を皮肉るものなので、相手の発言を揶揄したり、茶化したりする意図を含む場合があります。冗談として使うには効果的ですが、目上の人や真剣な会話の中で使うと、失礼な印象を与える可能性があるため注意が必要です。
また、文法的に正しいが冗長に感じられる表現すべてがこのことわざの対象になるわけではなく、あくまで意味の重複が明らかなケースが典型です。たとえば「前もって予告する」など、ニュアンスを強調する意図で用いられることもあり、一概に間違いとは言い切れません。
つまり、この表現を使うかどうかは、場の雰囲気や相手の理解を前提とした、ある種の言語センスが問われるところでもあります。
背景
「馬から落ちて落馬する」という表現は、重複表現(tautology)の日本語的な例として広く知られており、ことわざというよりは言語批判の比喩表現です。
「落馬」はすでに「馬から落ちる」ことを意味しているため、「馬から落ちて落馬する」はまったく同じ内容を繰り返していることになります。この不必要な繰り返しが滑稽さや違和感を生み、「意味のない言葉の重複」という批判として定着していきました。
もともとこの表現は、英語の "redundant expression"(冗語)や "tautology"(同語反復)の概念を説明する際にも引用されることがあり、言語の無駄や冗長性を日本語で説明する際の定番例としても使われています。
日本語の中には、似たような冗語表現が多数存在します。「犯罪を犯す」「まだ未定」「前もって予習する」などがその例です。これらは広く容認されているものの、厳密に言えば不自然な重複となっており、文章の洗練度を損ねる可能性があります。
この表現が広く定着した背景には、言葉への細やかな感受性を大切にしてきた日本人の文化的土壌があります。特に、俳句や和歌といった短詩形式に見られるように、余計なものを削ぎ落とす美意識が根強くある中で、言葉の無駄をからかうこのような表現は、笑いと教訓を兼ね備えたものとして親しまれてきました。
まとめ
「馬から落ちて落馬する」は、意味の重複した無駄な表現を皮肉交じりに揶揄する言い回しであり、日常会話や文章表現において言葉づかいの過剰さを指摘する際に用いられます。特に、同義語の重ねや冗長な言い回しを避けるべき文脈で効果的に働きます。
この言葉の背景には、「落馬」という語がすでに「馬から落ちる」という意味を内包しているという認識があり、その上に「馬から落ちて」という説明を重ねることで、意味の重複が生じています。その構造が滑稽さや無意味さを引き出し、結果としてユーモラスかつ教育的な表現として定着しました。
現代においても、言葉の使い方に敏感であろうとする場面では、冗語を避ける意識が求められます。この表現は、その意識を喚起する「言葉への注意喚起」として、実用性と笑いを兼ね備えたフレーズと言えるでしょう。
文章やスピーチの中で「馬から落ちて落馬する」ような言い回しがあれば、それは見直しの合図かもしれません。言葉を洗練させる手がかりとして、この表現は今後も生き続けることでしょう。