飢えたる犬は棒を恐れず
- 意味
- 切羽詰まった者は、危険を恐れず突き進むものだということ。
用例
危機的な状況に陥った人が、通常であれば恐れるようなことでも構わず行動するさまを表すときに使われます。無謀とも思えるほどの行動力や、追い詰められた者の怖さを伝える場面に適しています。
- 借金まみれの彼があんな仕事を引き受けたのは、まさに飢えたる犬は棒を恐れずというべきだった。
- 解雇目前の部下が、無許可で顧客に接触したと聞いて、飢えたる犬は棒を恐れずの心境だったのかと思った。
- 禁止されていることと知りながらも彼女がそれを実行したのは、飢えたる犬は棒を恐れずという状況だったのだろう。
いずれも、極限状態において人が理性や恐怖を超えて動く様子を描いており、無茶な行動の背景には深刻な事情があることを示唆しています。冷静な判断ができなくなるほどの「飢え」が比喩的に用いられており、状況の緊迫感を強調する役割を果たします。
注意点
この言葉は、人の極限状態における行動を、犬にたとえて表現しています。そのため、使い方によっては相手を見下したり、蔑視的に響くおそれがあります。特に対人関係においては慎重な配慮が求められます。
また、「飢えたる犬」という表現自体に強い印象があるため、冗談や軽い場面で用いると不快感を与える可能性があります。極端な例えであることを理解し、感情的な場面や文学的表現としての使用にとどめるのが無難です。
危険な行動を正当化するものではない点にも留意が必要です。行為そのものが非難されるべき場合もあるため、「飢えたる犬は棒を恐れず」と言ったからといって、すべてが同情されるわけではありません。
背景
「飢えたる犬は棒を恐れず」は、動物の本能を例に引きながら、人間の心理を語ることわざの一つです。棒というのは通常、犬にとっては恐怖の対象であり、飼い主や人間が犬を制する道具として使われることから、犬が棒を恐れるのは自然な反応です。しかし、飢えに苦しむ犬は、空腹を満たすことが最優先となり、その恐怖すら顧みなくなります。
このような生存本能に基づく行動は、人間においても例外ではなく、極端な状況に追い込まれたとき、人は理性を越えて行動に出ることがあります。生活困窮者が犯罪に走る、戦地で飢えた兵士が禁を破ってでも食料を確保しようとする、あるいは追放寸前の人間が組織の機密を暴露するなど、道徳や規範を超えた行動の裏には切実な理由がある場合も少なくありません。
この言葉は、そうした行動を容認するわけではなく、むしろそのような行動が起こる背景に、いかに深刻な事情があるかを示唆するために用いられることが多いです。そのため、道徳的に正当化するよりも、「なぜそのような行動を取ったのか」という理解を促すための言葉として位置づけられます。
また、古くから動物の行動を例にとったことわざは数多く存在し、その中でも犬は人間の身近な存在としてしばしば登場します。犬の行動を通して人間の本質や心理を語るという構造は、日本だけでなく、世界のことわざにも広く見られる特徴です。
類義
まとめ
「飢えたる犬は棒を恐れず」は、極限の飢えや困窮に陥った者が、普段であれば恐れるものすら顧みず行動に出るさまを表した表現です。飢えた犬が棒という恐怖を忘れてでも食物を求めるように、切羽詰まった人は結果やリスクを度外視して突き進むという心理を的確に捉えています。
この言葉には、人間の行動がいかに環境に左右されるか、またどんな人でも状況次第では常識や理性を超えた行動に出る可能性があるという現実が込められています。恐怖を抑えて突き進む姿は、同情を誘う場合もありますが、反面でその危うさや危険性にも目を向けなければなりません。
状況に追い詰められた人をただ非難するのではなく、その背景に何があったのかを理解しようとする姿勢は、現代社会においても重要です。極限状態の行動には、必ず何らかの理由があるという認識を持ち、社会として支える仕組みを考えるきっかけにもなるでしょう。