当たらずと雖も遠からず
- 意味
- 完全に正確ではないが、あながち間違っているとも言えないこと。おおむね的を射ており、核心に近い状態。
用例
推測や評価などが、必ずしもぴったりとは当たっていないものの、それほど外れてもいない場合に用いられます。
- 彼が犯人かどうかは断言できないが、動機や状況からすれば、当たらずと雖も遠からずだろう。
- 試験の出題範囲を予想したけど、少しずれていた。でも内容的には当たらずと雖も遠からずだったと思う。
- あの映画の感想、ちょっと大げさだけど、当たらずと雖も遠からずな指摘だった。
このように、完全な正解ではないが、無視できない程度に妥当性がある場合に用いられます。
注意点
この表現は微妙な評価や推測を肯定的にとらえる際に使われる反面、「少しズレている」という含みも持つため、受け手によっては批判や曖昧な態度と受け取られることがあります。とくに議論の場では、曖昧な立場をとっているように見えることもあるため、使用の文脈には注意が必要です。
また、古風な言い回しであるため、現代の日常会話ではやや硬い表現として受け取られることがあります。文章や論評などでは自然ですが、話し言葉としては言い換え(「大体合っている」「おおむね正しい」など)が望まれる場合もあります。
背景
「当たらずと雖(いえど)も遠からず」は、漢語的な表現であり、「雖も」は「~であっても」「~とはいえ」といった意味を持つ接続詞的な語です。このような構文は、中国古典に見られる語法で、日本でも漢学の素養を持つ人々の間で広く使われてきました。
この表現が広まった背景には、儒教や漢詩文の影響が考えられます。正確さと同時に、含蓄ある表現を好む文化においては、断定を避けつつも相手の理解や推測の正しさを評価する手段として、こうした曖昧でバランスの取れた言い回しが重宝されてきました。
江戸時代の儒者や知識人の間では、推論や予測を評価する際の常套句として「当たらずと雖も遠からず」が使われ、現代でも評論、裁判記録、学術的な議論などにおいて見かけることがあります。とくに、客観性と慎重さが求められる場面において有効です。
また、近代以降も教育現場やビジネス文書の中で、「完全ではないが概ね妥当」というニュアンスを伝えるために用いられてきました。これは、日本語独特のあいまいさや余地を残した表現を重視する文化と親和性が高い表現でもあります。
まとめ
「当たらずと雖も遠からず」は、完全に正しいとは言えないが、それほど間違っているとも言えないという、絶妙な距離感をもった表現です。推測や評価において、ある程度の的を射ている場合に、それを穏やかに肯定するための便利な言い回しです。
この言葉は、断定を避けながらも相手の見解に一定の理解や共感を示す柔らかな表現として、今なおさまざまな場面で活用されています。特に、日本語特有の遠回しで慎重なコミュニケーション文化の中では、断定を避けつつも妥当性を示す手段として有効です。
また、相手の推測や意見を即座に否定せず、少し距離を置いて評価する姿勢は、丁寧で知的な印象を与えることにもつながります。「当たらずと雖も遠からず」は、明確さと余韻を両立させることができる、奥深い日本語表現の一つと言えるでしょう。