WORD OFF

足駄あしだをはいてくびったけ

意味
夢中になって人を追いかけたり、強く心を奪われたりしている様子。

用例

恋愛や崇拝、または趣味などに熱中している人を指す際に使われます。自分を忘れて相手に夢中になる姿に対して、ユーモラスな視点を含めて語るときに適しています。

どの例も、理性より感情が先立ち、対象に強く惹かれて突き進む様子を、少し面白く、また親しみを込めて描いています。

注意点

この表現は熱中や夢中になる姿を表しますが、「足駄をはいて」という言い回しには、身なりや品位に構わず突っ走る印象があり、軽率さや節度のなさをにじませることもあります。そのため、真剣な愛情や崇拝の気持ちを表すつもりでも、第三者からは「浮かれている」「見苦しい」と見なされる可能性があります。

また、「首ったけ」は恋愛感情に使われることが多いため、ビジネスや学問などの分野で使うと、軽薄な印象になるおそれがあります。フォーマルな場では避けるか、ニュアンスの違う言葉に言い換えるのが無難です。

使う場面や相手との関係性に応じて、親しみのある軽口として扱うのが適切です。

背景

「足駄」とは、江戸時代などに用いられた高下駄の一種で、草履よりも粗末な履物とされていました。主に庶民が日常で使い、上品さや格式とはやや縁遠い印象を持つ履物です。

その「足駄をはく」という行為に、「あわてて飛び出してきた」「身なりなど気にせずに外へ出ていく」というニュアンスが加わり、恋や熱中のあまり我を忘れて相手に夢中になる様子を滑稽に表現する比喩となりました。

「首ったけ」は「首を取られる」ほどの熱中ぶりを意味する俗語で、「心を奪われているさま」「どうにもならないほど夢中である状態」を表します。この語と組み合わさることで、「どこにでも出かけていく勢いで、心を奪われている」という情熱的かつ滑稽な情景が浮かび上がるのです。

江戸時代や明治時代の小説や落語などにも似たような表現が登場しており、当時から「我を忘れて夢中になる人間の滑稽さ」は大衆的な笑いや共感の対象とされてきました。とりわけ、恋愛や追っかけ、道楽などにのめり込む人物像に対して、「足駄をはいて首ったけ」という表現は、軽やかに諷刺と共感を交えて描く手段として定着したのです。

現代ではこの言い回しはやや古風な響きを帯びていますが、その分、ユーモラスで味わい深く、軽妙なニュアンスを含んだ表現として再評価されることもあります。

類義

まとめ

「足駄をはいて首ったけ」は、夢中になるあまり自分の体裁や立場を顧みず、感情のままに突っ走ってしまう様子を、ユーモラスに描いた言葉です。恋愛に限らず、趣味や人物への傾倒などにも使われ、自他ともに笑いを交えて共感を呼ぶ表現です。

もともとは庶民的な履物と情熱的な感情が組み合わされた比喩であり、時代を超えて人の「のぼせ上がる心」を優しく見つめる言い回しでもあります。使い方には注意も必要ですが、親しみやすく、どこか可笑しみのある言葉として、今もなお日常会話に彩りを与えてくれる表現といえるでしょう。