WORD OFF

えばりんそんがいく

意味
人と会うと、わずかであっても時間や手間、金銭的な損が生じるものだということ。

用例

人に会うこと自体をわずらわしく感じるときや、形式的な挨拶・応対に意味を見いだせないような場面で使われます。また、過度な人間関係のしがらみに疲れているときにも用いられます。

これらの例文では、「人と会うことが何らかの損になる」という感覚が共通しています。ただし、その「損」は金銭に限らず、時間、労力、精神的な消耗など、広い意味での負担を指しています。皮肉や冗談の要素も含まれており、軽い愚痴として使われることもあります。

注意点

この表現は、人と会うことを「損」としてとらえるため、使い方によっては冷淡・利己的な印象を与えることがあります。特に、目上の人や親しい相手に対して不用意に使うと、誤解や不快感を生む可能性があります。

また、冗談や軽口のつもりであっても、頻繁に用いると「人付き合いを面倒くさがる人」という評価が定着してしまい、結果的に人間関係に影響を与えるかもしれません。相手との関係性や、場の空気を見極めたうえで使うことが大切です。

「五厘」という単位が現代ではほとんど使われないため、この言い回し自体の意味が伝わらない可能性もあります。とくに若い世代や貨幣単位に馴染みのない人には、説明なしでは理解されにくい表現となっている点に注意が必要です。

背景

もともと江戸時代から明治・大正期にかけて、商人や町人のあいだで使われていた口語的な表現と考えられます。「五厘」は、現在の貨幣価値でいえばごくごく小さな金額ですが、当時は庶民にとっても「無視できない損失」の象徴でした。

商売においては、わずかな時間や労力でも費用が発生するという感覚が強く、効率を重視する気風がありました。そうした中で、「ただ会うだけでも、ちょっとは損になる」といった合理主義的な思考が、この表現の背景にあります。

また、「五厘の損」といった表現には、ちょっとした挨拶や雑談にもコストがかかるという、都市生活におけるドライな人間関係観がにじんでいます。江戸っ子の気質として知られる、べらんめえ調の率直さや、軽妙な皮肉も含まれているといえるでしょう。

現代では、仕事や人間関係に忙殺される中で、こうした「わずかながらの損失」を積み重ねた疲労感を感じる人も少なくありません。その意味で、この古い言い回しは、現代の働き方や社交の在り方を考えるうえでも、共感を呼ぶ一面をもっています。

まとめ

「会えば五厘の損がいく」は、人と会うことによって、わずかであっても損失が発生するという皮肉をこめた表現です。形式的な挨拶や無駄な応対が積み重なって、労力や時間を奪っていくという感覚を的確に言い表しています。

用例では、日常の人付き合いや仕事上のつきあいのなかで、時間や精神的な負担を感じた場面に用いられます。ただし、冷たく聞こえやすいため、使いどころには配慮が必要です。

背景には、江戸から明治にかけての庶民の生活感覚や商人気質があり、合理主義と人情との間で揺れる都市生活者の本音が表れています。現代の忙しさの中でも、このような視点は依然として共感を集めるものであり、人との関わり方を見直すきっかけにもなりうる表現です。